【30代後半のファッション事情】流行よりも自分ルールを重視。
ファッションに対する価値観は人それぞれですよね。
重視するポイントは様々。トレンド、デザイン、品質、値段、自分をどのように見せたいか……。
ちょっと大げさですが、ファッションに対する価値観というのは、そっくりそのまま「そのひと自身」に通じるものがあると思います。
20代の頃は、必死にトレンドを追いかけ、ショッピングはセレクトショップが中心。
毎月のお給料はほぼ洋服代に消えていました。
今振り返ると、着飾ることで去勢を張ったり寂しさを紛らわせていたのでしょうね。
30代になり家族が増え親になり、子育てを通してミニマリズムに目覚め、ようやく自分の軸が見え始めた頃、ファッションに対する価値観も変わりました。
そんな私のファッションに対する価値観を、今後の自分のために備忘録として書き残しておきます。
ご興味のある方は、どうかお付き合いください。
現在、私のファッションに対するルールは次の通りです。
①清潔に見えること。
②安っぽく見えないこと。
③いつでも「お気に入り」のコーディネートが組めること。
④着ていて気分が安定するもの
⑤フォーマルを除いて、メンテナンスに手間とお金がかかる服は持たない。
①清潔に見えること
30代後半ともなると、肌や髪質の劣化はどうしても避けられせん。
頑張りすぎないスキンケア・メイク・ヘアスタイルで清潔感を大切にしていますが、隠しきれない劣化は悪あがきせずに受け止める方針です。
ラフな服装が大好きなので、普段からTシャツにデニムスタイルが多いのですが、バランスを間違えると「身だしなみに気を使わないおばさん」になってしまいます。
ですから、Tシャツにデニムであっても、清潔に見えること。
これが最優先事項です。
②安っぽく見えないこと
「安い服=悪」と言っているわけではありません。安くても良い服はたくさんあるし、女性はとくに「安いのに高見え」というフレーズに弱いのも事実。
これも①と同じような考え方で、安くてもそれなりに見えるもの、人に「安っぽい服着てる」という印象を与えないように気をつけています。
③いつでも「お気に入り」のコーディネートが組めること
以前は、「とっておきの服」がありました。
ここぞ!という時に着る服だったり、デザインに惚れたりちょっと高かったり。
もったいなくて毎日は着られないような服です。
そして「とっておきの服」があるということは、毎日きても惜しくない「どうでもいい服」もある。
これって、よく考えたらおかしいな、と気づいたんですよね。
「どうでもいい服」を毎日きて、「とっておきの服」は数回しか着ないなんて、なんか変。
それからというもの、「毎日がお気に入りの服」にするために、どうでもいい服は買わなくなりました。数は少ないけれど、私のクローゼットは「お気に入りの服」ばかりです。
④着ていて気持ちが安定するもの
デザインは良いのに、着心地の悪い服ってありますよね。
素材の問題だけでなく、骨格に合わないものや、肌色になじまなくて「なんか違う」と違和感を感じたり。
その「なんか違う」はけっこう厄介で、ちょっとでも「違う」と思ってしまうと、出先でも気になって「やっぱりあっちの服にしておけばよかった」ということになりかねません。
私は骨格診断などには全く詳しくありませんが、鏡をパッと見て「なんか違う」と感じたものは買いません。
逆に、着ていてしっくりくるもの、自分が素敵に見えるものは、全く同じものを買い足したり色違いで購入したりします。
「しっくりくる服」というは、私にとっては「着ていて違和感がなく、自信を持って着ることができる。誰に会っても恥ずかしくない」ということ。
「自信を持って」というのが非常に重要で、「この服を着ている自分は素敵」と、自分で思えるくらい気に入った服は、着ていて気持ちが安定します。
⑤フォーマルを除いて、メンテナンスに手間とお金がかかる服は持たない。
毎日着る服は、清潔感が命。
冠婚葬祭用のフォーマルな服は別として、普段着る服は洗濯機で気兼ねなく洗えることが必須条件です。
デニムであろうとワンピースであろうと、おしゃれ着洗いなどせず、ほかのものと一緒に洗濯機に放り込みます。
たまに綺麗なレースの服を見ると、「素敵だな〜」と思うことはありますが、「洗濯機で洗えるか」 と考えて「NG」であれば諦めます。
私の性格上、メンテナンスが面倒な服は必ず着なくなりますので……。
以上が、私の「ファッションにおける自分ルール」です。
自分なりのルールを決めてしまうと、服選びも楽になるし失敗が減ります。
今後も年齢やライフスタイルに応じて、自分ルールはアップデートされていくことでしょう。
読んでいただき、ありがとうございます!
【ワードローブもシンプル】コーディネートを考えない。毎日が心おちつく服装。
みなさんは、毎日着る服のコーディネートっていつ考えますか?
コーディネートが決まるまでに要する時間はどれくらいですか?
毎日着る服に満足していますか?
私はここ1年くらい、普段のコーディネートを考えていません。
朝、クロゼットを開けたら目の前にあるトップス&パンツをさっと手にとるだけ。
服を手に取るまで考える時間はありません。
というのも、パターンが決まっているからです。
そもそも、コーディネートを考えるほど服を持っていない。
私のワードローブはとってもシンプルです。
どれくらいシンプルかというと、現在(5月中旬)着回しているアイテムとテイストは以下の通りです。
・Vネック七分袖カットソー2枚(紺1、白1 )…ちょいカジュアル
・ボートネック七分袖カットソー2枚(紺1、白1)…キレイめ
・キャミソール2枚(黒、紺) …キレイめ
・スキニーパンツ2本(デニム、ベージュ)…ちょいカジュアル
・ワイドパンツ1本(黒)…キレイめ
これをベースに、
・ストール1枚
・スニーカー1足(黒)、革靴1足(黒)
以上です。
気に入ったアイテムを2色買いして、交互に着回すパターン。
仕事の日は2パターンのトップス&パンツを交互に着まわし、休日ちょっとしたお出かけをするときに、いつもと違うパターンにするくらいです。
シンプル思考になっておしゃれに対する考え方もシンプルに。
生活のシンプル化に伴い、服の好みが明確になってきて、私の場合「シンプルでベーシックなもの」、「カジュアル過ぎず、ちょっぴりキレイめなもの」がしっくりくるし、心がおちつくという結論に。
以前は服をたくさん買い込んで、クロゼットを眺めてはコーディネートを考えワクワクしていました。
そのいっぽうで、「この服、一度も着てないな……」とうしろめたい気持ちになり、(当時は欲しくて買ったのに)あまり着たいと思わない服を着るためにコーディネートを考えて、結局「やっぱりちがう」と出かける直前に着替えたり。
おしゃれ大好きなのに、疲れることが多々ありました。
私は根っからのズボラです。でも、おしゃれは大好き。
いろんな服を見るのは大好きだけれど、実生活の中でたくさんは必要ないし、管理できない。着たいと思う服は、だいたい決まっている(だから、買ったのに一度も着ない服というのが発生してしまう)。
そんなとき、ミニマリストブームの時期に「私服の制服化」という考え方を知りました。
本当に自分の好きな服を少しだけ。でも、おしゃれは楽しみたい。
少数精鋭、毎日心ときめく服だけ着ていたい!
私流、服を所有するときに気をつけていること。
・所有するのは、本当に気に入った服だけ。
・いろんなデザインの服をたくさん持つより、気に入ったデザインのものを同色・もしくは色違いで数枚持つ。
・トレンドより、「自分に似合うかどうか」を重視。
・他人に「いつも同じ服(テイスト)」と思われたって、かまわない。
・気に入って買った服だからこそ、とことん着る。高い服でも普段着レベルで着る。
・いっぱい着て、「清潔感」や「心地よさ」がなくなってしまったら服を新調するタイミング。
自分自身が満足できる服を着れば、心がおちつく。
自分が気に入ったもの、似合うものだけが揃っているクロゼットって、本当に楽です。
いつどんな時も自分の着ている服に満足しているというのは、心がおちつくし自信にもつながります。
出先で「やっぱりあっちの服にしたほうがよかったかも……」とモヤモヤすることがありません。
コーディネートひとつでその日の気分が左右されることもあるのですから、身につけるものって本当に大事だなと思います。
たくさんはいらない、自分が本当に好きな服を数枚だけ。
これは!と思って買った服でも、「ちょっと違った」とか「似合わなくなってきた」ということはよくあります。
失敗を繰り返しながら、自分好みのテイストや着ていてしっくりくる服、心がおちつく服、着ていると自信がもてる服がきっと見つかります。
毎日コーディネートに悩んでいるかたの参考になれば。
【ミニマルに働きたい】会社に属していても働く時間は自分で決めたい
こんにちは。
私は訪問看護師として週4日働きつつ、複業(副業ではなく、複業。どちらも真剣)としてライターをしています。
先日、訪問看護師として事務所で仕事をしていてこんなことがありました。
普段17時退社なのですが、その日は訪問件数が少なく「定時退社まで2時間近くあるのに、すでにやるべき仕事がない」という事態になりました。
会社にお勤めの方はわかると思うのですが、「やばい。“あいつ、サボってるよ”と思われないように、仕事探さなきゃ。」と考えたわけです。
ちょうど、まとめなければいけない書類(別に急ぎではない)があったことを思い出しさっそく着手。
しかし、書類の作成に2時間も費やす必要はありません。
ふと「(別に今やる必要のない)仕事を(無理に)探して、“ちゃんと仕事してますよ!!”とアピールするくらいなら、“やるべき仕事が終わったので、今日はこれで失礼しまーす!!”と爽やかに退社できたらいいのに。それが言える風土が当然のようにあればいいのに」と思ったのです。
気の小さい私は、書類完成後も(余った時間がもったいないとばかりに)必死に他の仕事を探し、17時になったと同時にそそくさと退社したのですが、「なんか損した気分」と思ったのです。サボれない性格、決められた労働時間。
早く帰れば子供をゆっくりお風呂に入れられるし、本を読んだりライティングしたり、もっと有意義に時間を使えたはず。
そんなモヤっとした気持ちを抱えつつ、どうすれば良いのかわからない。
ただ、「どうしたら良いかわからない」と言っているうちは「どうすることもできない」ので、ここはひとつ、じっくり考えてみようと思う。
もっとミニマルに働きたい。
「最低限」という意味ではなく、「効率的に」という意味で。
【大人になってからの勉強】実践と学習、このループが上手くいくと仕事が楽しくなる。
みなさん、勉強は好きですか?
先日久しぶりに会った同業の友人との会話で、「勉強って楽しいよね」という話になりました。
「自分から学びたいと思ったことって、勉強していて楽しい」と。
私は部署を異動してからというもの、はじめの1ヶ月はとにかく勉強漬けの毎日を送りました。
朝子供たちが起きてくるまでの間、仕事中、帰ってから……まとまった時間は確保できないので、スキマ時間に勉強。
新社会人になった16年前よりもはるかに効率よく、充実した勉強をしている実感があります。
なぜ、勉強が楽しくて仕方ないのか考えて見ました。
その理由は次の4つ。
1.新しいことを知るのが楽しい
2.学習したことが実践(仕事)に結びつくのが楽しい
3.実践したことやわからなかったことを復習して「そういうことだったのか!」と納得するのが嬉しい
4.実践や学習による「楽しい」「嬉しい」という感情によって、仕事そのものが楽しくなっている
私の職業は他人の生活や命に直接関わる仕事なので、自分の判断次第で相手の状況が良くも悪くもなってしまうという重圧がありますが、非常にやりがいのある仕事です。
なぜこんなに勉強するかというと、この「やりがい」という言葉が、ただの「自己満足」になってしまわないように、相手にとって「これがベスト」といえる仕事をするためには、勉強して知識とスキルを積み重ねていくしかないのです。
勉強をすることで落ち着いて行動できるし、行動してから勉強することでより頭に入るし、頭だけの理解だけでなく身につける(実際に使えるものになる)ことができます。
「経験や感覚でやっていたことを勉強して裏付けする」って、本当に大切。
普通は「学習→実践」と考えがちですが、「実践→学習」のほうが身につきやすいと思います。
そして、実践と学習のループが上手くいくと、仕事がめちゃくちゃ楽しくなるということがわかります。
これは仕事だけでなく、趣味などでも同じです。
(興味のあることが)できるようになりたい→勉強する→勉強したことを実践したい→実践する→もっとこうすればいいかも、これはどういうことだったの?→勉強する→以下同じ。
さらに、「まだ知識が足りないからできない」と考えて行動しないのはとてももったいないことで、「わからないけどとにかくやってみよう。それから勉強すればいい」くらいの軽い気持ちがとっても大事です!
楽しく働いておもしろく生きるためにも、生涯学び続けたい。
そんなことを考えながら今日も勉強するのでした。
訪問看護師ってどんな仕事?訪問看護初心者が感じたこと
こんにちは。
今回の記事は、「シンプルライフ」とはあまり関係のない内容になっています。
私が生業としている「看護」という仕事についてのお話ですので、興味のある方だけ読んでいただけたらと思います。
3月から職場が変わりました。訪問看護ステーションへの異動です。
訪問看護とは、利用者さんの生活している自宅や施設へ出向いて看護ケアや一部の医療処置・介護ケア・リハビリなどを行います。
また、利用者本人への身体的なケアだけでなく精神的なケア、家族のケアも重要な役割です。
そんな訪問看護、これまで実習や研修で行った程度で、実際に働くのは今回が初めてです。
異動して3週間を終えての感想を述べたいと思います。
1.世の中にはいろんな人がいろんな環境で生活しているという当たり前の事実。そして看護をする場所が「家」であるということ。
当たり前すぎて笑われるかもしれませんが、本当に率直な感想はコレ。
これまで病院や施設でいろんな患者さん・利用者さん・家族と出会いましたが、それは病院や施設といった「ハコ」のなか。
医師・看護師・介護士・セラピストなどが常にいて、空調は管理され、物資も豊富にあり、緊急事はすぐに対応できる体制が整っている。何かあれば、近くにいる看護師や医師に相談し、指示を仰ぐことができる……という、ある意味守られた「ハコ」のなかでしか看護を提供したことがありませんでした。
でも、訪問看護では利用者や家族が実際に生活している「家」へ赴くことになります。
基本的に看護師一人で訪問するので、何かあれば即座に自分で判断する必要がある。(もちろん、判断に困ったときは携帯電話でステーションに連絡して、相談や応援を要請することは可能)
そして、病院のように物資が揃っているわけではないので、いろんな意味で制約があるのです。
また、その家その家ごとに「その家の個性」が滲み出ていて、当然ですが病院や施設などの環境とは全くの別物。昼間でも薄暗く、室温が快適とは言えないこともしばしば。
療養者や家族は、病院や施設で出会う印象とはちょっぴり違う。
包み隠さず……とまではいかないにしても、ほぼ「素」の人物像がそこにはあるのです。
健康に何かしらの問題を抱えて自宅で療養生活を送る人、その人たちを支えている家族、老老介護、高齢者の一人暮らし、認知症、貧困。
これでもかと現実を見せられます。
こんなリアルな場所で看護を提供できるなんて、なんてすごい所にきちゃったんだ!!という興奮。
不安もありますが、それ以上に「これから一生忘れることのない貴重な経験をさせてもらえる」という高揚感が優っている感じです。
2.訪問看護は生活そのものを支えるイメージ
病院ではどうしても「治療」が優先になるので、「◯◯という病気で手術を受けるために入院した△△さん。喫煙歴があるから、術後の肺炎に注意……」というイメージでした。そこに患者さんという「人」がいるのに、どこか「病気ありき」な感じです。
いっぽう、自宅療養者も何かしらの健康上の問題があって訪問看護を受けるわけですが、「団地で一人暮らし、猫とお花が好きな△△さんは◯◯という病気を患っている。毎日薬を飲む必要があるけれど、時々忘れてしまう。最近は家の中にこもりがちで買い物にも行けていないみたい」と、よりその人の人間像を描く必要が出てきます。
「看護」するということは同じはずなのに、その人をみる視点や看護を提供する上での思考・方法などがガラリと変わるのです。
その人が自分の城である「家」で健康的に快適に過ごせるように。できる限り不安を感じることなく穏やかに過ごせるように。
同居している家族がいるのであれば、その人たちの不安や不満、健康上の問題にも寄り添えるように。
こんなに「人」と「生活」に密接に関われる仕事、なかなかありません。
3.これから訪問看護の需要は一層増える
訪問看護を始めてまだ3週間ですが、「これから訪問看護の需要はますます増えるだろうな」ということを実感しています。
入院期間は短縮され、一部の高度医療を除いて「病院から在宅へ」と積極的にシフトされていることは、世間のみなさんも感じていることでしょう。
たとえば、慢性疾患をたくさん抱える高齢者が健康を害して入院しても、治療がひと段落したら短期間で退院を余儀なくされ、あとは自宅療養となります。
これに不満を感じる人はとても多いようですが、やはり病院は生活の場ではなく治療の場。治療が終了した(もしくは積極的治療の適応ではない)と判断された時点で、帰るべきところへ帰るというのが自然なことだと思います。
でも、それがスムースにできないことが多い。病院にいるときは、「いくら治療が終わったからといって、こんな状態で家で生活できるだろうか。でも、退院してもらわないと……」と不安やジレンマを感じることもあったのですが、訪問看護の現場を知れば知るほど、「適切な介入があれば、どんな人でも自宅療養は可能」とまで考えれられるようになりました。
想像している以上に、訪問看護師っていろんなことをやるんですよ。
血圧や体温を測るだけじゃない。お風呂の介助もするし、床ずれの処置もするし、リハビリもする。自宅で採血するし、点滴もする。住みやすい環境をつくるためのお手伝いもします。
話し相手になって不安や悩みを聞いたり、家族や地域とのつなぎ役になったり、そこから他のサービスに繋いだり。本当にいろんなことをするんです。
もちろん、訪問看護師だけでできることには限界があるので、ケアマネージャーさんやヘルパーさんといった他職種の協力は必要不可欠です。
しかし、訪問看護師の判断や機転ひとつで療養者の生活の質を左右するといっても過言ではないくらい、家での生活に不安を感じたり他者の手助けを必要とする人にとっては重要な存在であると自負しています。
4.もっと訪問看護師の存在を知ってほしい
実際に訪問看護師のやることを知ってもらえれば、自宅療養への精神的なハードルは低くなると思います。
たった3週間しか働いていない私でさえ、世間一般の人たちが思っている以上に、「家にいながらいろんな治療・ケアを受けることは可能である」ということ、「訪問看護師は、病気だけでなくありとあらゆることにアンテナを張って療養者を支えようと努力している」ことを痛感しています。
もっともっと、訪問看護師の存在と役割を知ってもらえたら、ずっと家で生活したいという人、やむなく病院や施設ではなく家での療養を選択する人たちが安心して家に帰ることができると思うのです。
つい長くなってしまいました。
実はついこの前まで「看護の仕事をいったん辞めて書く仕事に専念したい」という思いがあり、退職の話まで進んでいたのですが、いろんな巡り合わせで訪問看護の話をいただき挑戦することになったのです。
結果としては、看護の仕事を辞めなくて良かった。訪問看護をさせてもらえることになって良かった。
こんなに刺激的な仕事、なかなかありませんから。
読んでいただき、ありがとうございました。
「好きなこと=仕事」がとても楽しいという話。
おはようございます。
先月から新しいお仕事でファッションブログの記事を書いています。
もともとファッション大好きで、10代の頃は矢沢あいさんの「ご近所物語」をバイブルとして仰ぎ、社会人となった独身時代はお給料から固定費を差し引いた額のほとんどをファッションにつぎ込んでいました。
スタイリストやショップの店員さんなどファッションに関わるお仕事に憧れた時期もありましたが、当時キラキラした世界に飛び込む勇気のなかった臆病な私は、「田舎者のセンスなんてたかが知れてるし」「ファッションの専門学校に行くほどの経済的な余裕ないし」など、今考えると本当にくだらない理由をつけて行動することを諦めてしまったのです。
あくまでも趣味としてファッションを存分に楽しみ、今は天職とも思える看護の仕事と大好きな書く仕事もしているので、後悔はありませんが。
今も変わらずファッションは大好きですが、「それを仕事に」と思えるほどの熱量はなくなったように感じていました。
しかしながらファッションブログのお仕事をいただいて、これまで「趣味」として時間とお金を大いに費やしてきたものが、ここにきて「仕事」になったことに深い感謝と喜びを感じています。
他の記事を書くのに比べて、格段にファッションブログのお仕事が楽しい!
「こんなふうにコーディネートしたら可愛いかも!」とか「このお洋服がステキな理由はここだ!」といった経験知といいますか、ファッションが大好きゆえの「この子(洋服)の長所をいっぱい伝えたい!!」という気持ちが仕事に活かせる。
自分が得意とするテイスト以外のものだと若干書くのに難渋することもあるので、ここは努力して改善すべきところ。趣味とはいえお仕事なので、自分の好き嫌いで記事の仕上がりが左右されるのは良くないですからね。
やっぱり、「好きなこと=仕事」という構図は仕事に対する熱量が格段に違うし、ストレスが少ない。
楽しい思いが優先するので、多少の面倒なことや難しいことも乗り越えようと頑張れます。
好きか嫌いか、得意か不得意か、楽しいか楽しくないか、そんな基本的欲求で仕事が選べたら、ストレスなくハッピーに生きられそうですね。
おしまい!
【研修を受けた】コミュニケーショントレーナーに聞いた、アサーティブ・コミュニケーションの極意とは。
こんにちは。
先日、職場で研修がありました。
私は介護施設で看護師をしていますが、医療施設や介護施設というのは、日々患者さんや利用者さんに対する医療・看護・介護を提供するだけでなく、その裏で、それらの「サービス」を安全に・快適に受けていただくための「委員会活動」や「研修」というものがあります。
例えば、感染対策であったり医療安全対策であったり、職員教育であったり接遇・マナーといったものです。(ほかにも、記録委員会とか褥瘡委員会とか、いろいろあります。)
質の良いサービスを提供するためには最新の情報を学び続けて知識やスキルをアップデートすること、それを実践に取り入れることが重要なので、職場内での委員会活動や研修というのは当然必要なものです。
これはどのような組織・職種でも同じことが言えるのではないでしょうか。
さて、今回参加した研修は「アサーティブ・コミュニケーション」。
この研修が「残業してでも受けてよかった」と思える研修だったので、インプット後のアウトプットの場として、ここで少しお話しさせてください。
アサーティブなコミュニケーションとは何か?
アサーティブは日本語で「主張的」という意味になるのですが、ただ自分の意見を一方的に主張するだけでは良いコミュニケーションは成立しません。
アサーティブなコミュニケーションとは、「自分を大事にしつつ相手のことも尊重して、そのうえで自分の要望や意見をしっかりと主張する」こと。
自分も相手もお互い大事。どちらか一方ではなくて、お互いが尊重された関係性のなかで自分の意見をしっかりと主張できるようにするのがアサーティブなコミュニケーションです。
例えば、仕事でミスをしがちな同僚に注意したいことがあるとします。
注意を促して、同じミスが起こらないようにしてほしい。
このような場合、どんな言い方をしますか?
「どうしていつも同じミスをするのですか」
「周りの人が困っています」
「ちゃんとやってください」
もしくは、子供に対して。
「どうしていつもそうなの?!」
「周りの人に迷惑でしょ!」
「ちゃんとやって!」
……これ、子供に言ってますね、私。
これを「アサーティブ」という視点で考えると、こうなります。
⑴事実はどうか
「いつも」って、どれくらい?毎日?3日に1回くらい?10回に1回くらい?
具体的にどんなこと?
その結果起こる問題は?デメリットは?
例)ここ3回続けて、書類の提出締め切りが守られていない。
⑵事実に対する自分の感情は
第三者ではなく、「私」はどう感じているのか。
率直な感想、感情。
例)書類の提出が遅れることで、上司への報告が遅れ困っている。
オーバーワークになっているのでは、と心配している。
体調が悪いのでは、と心配している。
⑶要求、提案
相手にどうしてほしい?自分はどうしたい?
具体的で実現可能な要求、方法
例)毎月〇日の△時までに提出してほしい。
どこを手伝えば良いか教えてほしい。
どのような方法がやりやすいか意見を教えてほしい。
これらを整理することで、自分の感情や要求が相手に伝わりやすい。
そして大切なのが、自分の主張だけを通すのではなく、相手を尊重し配慮するということ。
⑴と⑵を伝えたところ、「でも……」「だって……」と相手の言い分が出てくるでしょう。そのときに、相手の主張を最後までしっかりと聞いて「そうなんですね」と受け止めること。
ここで、「そうは言っても…」と返すのはNGです。
まずは相手の主張を受け止める。
そして、具体的にどうしてほしいのかを伝える。
「ちゃんとしてほしい」ではなく「〇〇してほしい」、「早くしてほしい」ではなく「〇時までにやってほしい」など。
自分と相手はそもそも価値観や習慣が違うということを前提にして、相手が行動できるレベルまで具体的に伝える。
こうやって書くと、「そうだよね〜相手を尊重するって大事だよね!」と思うのですが、意外とこれができる人って少ないのではないでしょうか。
どうしても自分の感情が先に立ってしまう。
さらに「自分を大事にする」っていうのも、意外と難しかったりします。
とくに相手が上司だったり苦手な人だったりすると、自分を卑下してしまったり相手の顔色が気になってホントのところをを伝えられなかったり。
「私はこう感じている」「私はこうしたい」って、自分の気持ちに向き合って自分を尊重していないと、なかなか言えませんよね。
だらだらと自分の考えをまとめるために書いてしまいましたが、アサーティブ・コミュニケーションって、きっと「自分にも相手にも愛があるコミュニケーション」のこと!
やっぱり、人との関わりって心が通ってないとできないし、愛なんだと感じた研修でした。
おしまい!
読んでいただき、ありがとうございます。