ミニマリストにはズボラが多い?
ミニマリストブーム、落ち着いてきてはいるものの、世の中は、派手さよりも慎ましさ、沢山あるよりは適量、背伸びするより身の丈… そんな風潮になっていて、それは今後も続いていくような気がします。
私はミニマリストです!と胸を張って言える程ではありませんが、持ち物は少ない方だと思います。服は2〜3パターンを交互に着れば充分だし、下着や靴下も洗い替えが1組あればいい(帰省などに備えて、予備はありますが)。スキンケアはワセリンだけ。ヘアケアとボディケアは、椿油ひとつで兼用しています。
そんな私は、ズボラです。
友人、知人は「うそだ〜」と言いますが、自分の事は自分が一番分かっています。
私は、間違いなくズボラです。
ライフスタイル、ミニマリスト関連のいろいろなブログや本を読んでいて気付いたこと。
それは、ミニマリストにはズボラを自認・公言している方々が多いということ。
これから書くことは、あくまでも個人的な意見で、根拠のない考えなのですが…。
ズボラとミニマリストには、因果関係というか、必然性というか、何かしらの関係性があるように思えるのです。
私の母を例に取ると、私の幼少期の母の姿は、毎日カットソーにオーバーオール。母は「これが一番楽だし、お母さん、オーバーオール大好きなの」。
毎日同じ格好なんて、ちょっと恥ずかしい…。幼心にも、そんな気持ちがありました。でも、母は気にも留めず、しばらくはそのスタイルでした。
母はミニマリストとまではいきませんが、それに近いものがあると感じます。
そんな母、ズボラを自認していますし、娘の私から見ても正真正銘のズボラなのです。
たとえば一人でラーメンを作って食べるとき。出来上がったラーメンを器に移さず、鍋ごとすすっているのを見て、さすがの私もドン引きしました。
はたまた私の幼少期。弁当箱を開けると、主食が私の大好きな「銀チョコ」という菓子パンだったことがあります。とっさに弁当箱の蓋を閉じ、何かの間違いであって欲しいと願いました…。弁当箱に、ドーンと銀チョコ。
「おのれ、手抜きしよったな」
まあ、家では大喜びで食べてましたから、母に悪気はなかったのでしょう。しかし、学校では恥ずかしいやら、悲しいやら…。
母は、自分の不得手なこと、やりたくないことがはっきりしていました。自分が面倒だと思うことは、なるべく楽な方法で切り抜けていたような気がします。
私も、シンプルな生活を目指すようになって改めて、自分のズボラさを強く感じるのです。
床に物が少ないと、掃除が楽だな〜 とか。
メイクが簡単(眉毛、チーク、口紅のみ。時々アイシャドウ)だと、メイク落としがお湯だけで済んで楽だな〜 とか。
2日に一回は湯シャンにして、体は石鹸を使わず、シャワーを流しながら素手でゴシゴシする方法にしたら、お風呂に入るのが面倒じゃなくなったな〜(←おい。)とか。
やらなくてもいいことが増えると、なんて気持ちが楽なんだ!と実感するわけです。
ズボラだからミニマリストを目指すのか、もしくは必然的にミニマリストになっていくのか…。
もうしばらく、考察してみたいと思います。
読んでいただき、ありがとうございます。